免許合宿3

 世の人はよくこう言う。終わってみれば早かった。終わってみれば楽しかった。

 友人と会話をしている中で終わってみれば〇〇。こういった言葉をよく聞く機会がある。

 

 2/6から始まった免許合宿。過密な日程を順調に消化し、卒業検定にも合格した私は晴れて自動車学校を卒業することができた。正直なところしんどいことの方が多かった。朝早くに起き、休む暇なく教習、効果測定の繰り返し。唯一の娯楽といえば教習が終わり合宿所に帰ってから行うランニングくらいだろうか?

 そんな長くて、苦しい免許合宿をこうして無事終えた今、振り返ってみるとこういう感想を抱く。「終わってみれば早かった」と。それだけではない。後半、特に第2段階に入ってからは同じ合宿に来ている他大学の友人もでき「終わってみれば楽しいことも多かった」とさえ感じる。こういう振り返りができるのは充実した毎日の賜物であると感じる。

 

 しかし、「終わってみれば〇〇」というのは肯定的な時だけに使うものではない。新聞などのスポーツ欄を読んでいると「終わってみれば〇〇」と否定的な局面で使われることも少なくはない。

 

合宿生活もそうだし、部活、またこれから本格化する就活もそうだが終わってみてどう感じるかというのはその全ての行程を終えてからでないとわからない。特に部活の練習といったものはやっている間は大変辛いものであるし、その時は投げ出したくなる時もある。しかし、終わった時に後悔するような生き方はしたくない。

 

 「今」という一瞬にやれることをする。「時は金なり」ということわざがあるがその通りだと思う。

 

 携帯会社などが行なっているサービスに牛丼1杯無料だとかアイス無料などがある。お金のない学生はまだしも大の大人が1時間2時間かけて並んでいる光景をみると疑問を抱く。牛丼1杯、アイス1個の値段はせいぜい高くて500円くらいだろう。それを1.2時間も待って買う価値があるのか?時間はお金に換算することはできないがきっと牛丼、アイスの価値はそれ以下だと感じる。

 

 少し路線が外れたが時間は何にも変えがたいものであり、それ故に今という一瞬を懸命に生きていくことが重要になる。その積み重ねで、何か1つの区切りがついた時に「終わってみれば〇〇」と充実感が得られるのではないかと私は思う。

 

 

 

何はともあれ卒業できてよかった。